February 2012
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俗に月月火火水木金と呼ばれる海軍の猛訓練、猛教育を指したもので、平常から実戦の心構へで事に当るやう努力する教育。名提督山本五十六元帥も霞ヶ浦航空隊の副官時代から海鷲達にこの硬教育を施し、平時に於ても相当の死傷者を出した程だが、この教育法の精華は大東亜戦に赫々たる戦果として開花した。
硬教育の精神は日露戦争の 終了後「勝つて兜の緒を締めよ」の名句で結ばれた東郷元帥の訓示の中に脈々と流れてをり、次のやうな一節が特に国民を感奮させた。曰く「武力なるものは艦 船、兵器のみにあらずしてこれを活用する無形の実力にあり……惟ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、時の平戦に由りその責務に軽重あるの理なし。」
『大東亜時局語』朝日新聞社、昭和19年
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January 2012
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青紙応召
前線への誉の赤紙応召と国内生産戦線への晴の白紙応召の他に青紙応召といふのが昭和十八年七月八日から新しく生れた。これは企業整備によつて浮かぶ労力に対してさきに公布された「従業者の雇入れおよび就職命令」に基づき地方長官が休廃止工場の従業に手交する青紙の“就職命令書”である。決戦下に職場の労務者が寸時といへども退職金などで徒食するなどといふ事は許されないことだが、当局の指導勧奨にどうしても応じない揚合には厚生大臣が指定する重要工揚に就職するやう地方長官が指導所長を通じてこの就職命令書を本人に手交し、指導所で係官立会の下に本人と指定工揚主との間に就職條件を決定することになつてゐる。
『大東亜時局語』朝日新聞社、昭和19年
「赤紙」は有名だが、「青紙」というものもあった。文中にもあるように文字通りの「就職命令書」で、「決戦下に職場の労務者が寸時といへども...
October 2011
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February 2011
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愛国イロハカルタ(イ~レ) 昭和18年12月
【イ】イセノカミカゼ テキコク カウフク 【ロ】ロバタ デ キク センゾ ノ ハナシ 【ハ】「ハイ」デ ハジマル ゴホウコウ 【ニ】ニッポンバレ ノ テンチヤウセツ 【ホ】ホマレハ タカシ キウグンシン 【ヘ】ヘイワ ナ シマジマ ヒノミハタ 【ト】トウア ヲ ムスブ アイウエオ 【チ】チヒサナコト カラ オホキナ ハツメイ 【リ】リクワシ ウミワシ ボクラモ ツヅク 【ヌ】ヌグフ アセミヅ キンラウ ホウシ 【ル】ルスヲ マモッテ カチ ヌカウ 【ヲ】ヲノ ノ ヒビキ モ イサマシク 【ワ】ワラヂ デ キタヘタ オヂイサン 【カ】カガヤク ムネ ノ シヤウイ キシヤウ 【ヨ】ヨセクル クロシホ ウミノ コ ワレラ 【タ】タダシイ ケイレイ タダシイ ココロ 【レ】レンセイ デ ノビル セウコクミン
October 2010
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決戦下の新聞書籍広告 昭和17年1月 (Jan. 1941)
決戦下の新聞書籍広告 昭和17年1月 朝日新聞 昭和17年1月1日 朝日新聞 昭和17年1月2日 朝日新聞 昭和17年1月3日 朝日新聞 昭和17年1月4日 朝日新聞 昭和17年1月5日 朝日新聞 昭和17年1月7日 朝日新聞 昭和17年1月8日 朝日新聞 昭和17年1月9日 朝日新聞 昭和17年1月10日(1) 朝日新聞 昭和17年1月10日(2) 朝日新聞 昭和17年1月11日 朝日新聞 昭和17年1月12日(1) 朝日新聞 昭和17年1月12日(2) 朝日新聞 昭和17年1月13日 朝日新聞 昭和17年1月14日 朝日新聞 昭和17年1月15日 朝日新聞 昭和17年1月16日(1) 朝日新聞 昭和17年1月16日(2) 朝日新聞 昭和17年1月17日 朝日新聞 昭和17年1月19日 朝日新聞 昭和17年1月20日 朝日新聞 昭和17年1月21日 朝日新聞 昭和17年1月22日(1)...
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[神国日本のトンデモ療法]マムシに咬まれた時
マムシにかまれたのには、医師を必要としません。クシガキを酢に漬けてくさらしたものを、そのかまれた処へつけますと、即座になほすことが出来ます。……つるしガキがないときは、カキしぶでも、または木になっている青ガキでもいいのです。この様なことが、水戸藩の典医原南陽の著した『戦陣奇法トリデ草』の中にもあります。(神奈川県 鳥居忠亮)
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神国日本のトンデモ療法
トンデモ療法はいつの世にも花ザカリだが、昔のものはかなり強烈で、歴史的記録に値するほど針が振り切れているものが多い。「折々のうた」的に少しづつ紹介します。
*( )の中はその記事を寄稿した人
淋病に川セミ 川セミという、美しい小鳥があります。よく小川のあたりにすんで、小魚や虫などをとって食べています。これをとって密閉した器へ入れ、黒焼きにして、それを粉末にしたものを、五日ないし一週間ぐらい分服いたしますと、恐ろしい淋病に、大そうなききめがございます。
(栃木県盬谷郡 荒井某)
マグロの中毒 マグロに中毒したときは、モモを二つ三つ食えば、立ちどころに治ることうけあいなり。
(北海道岩見沢町● 木村某)
胃がんの初期 ジュンサイと云う、古池などに生ずる水草を、せんじてのみますと、胃がんの初期だと必ず治ります。 (静岡県志太郡 某)
水虫に白ペンキ ...
目次
皇国日本のトンデモない本=皇国トンデモ本。昭和16年から20年にかけて流布された、数々のトンデモな言説を紹介します
第1回 狂気の「ぶち殺せ!」標語 主婦之友』昭和19年12月号
第2回 「野獣民族アメリカ」の恐怖 『主婦之友』昭和19年12月号
第3回 号泣!「戦ふ育児生活」 『主婦之友』昭和19年8月号
第4回 日本に栄養不足絶対になし 『婦人倶楽部』昭和19年6月号
第5回 一億総特攻のすすめ 『主婦之友』昭和20年7月号
第6回 私の発明! 人間魚雷 『学生の科学』昭和17年4月号
第7回 皇国婦人の実用お作法 『婦人倶楽部』昭和14年1月号付録
第8回 決戦下の実戦英作文 『受験と学生』昭和17年2月号
第9回 勝利の日まで大増税 『国家総動員法早分り』昭和13年
第10回 ナゾの「熱帯進出力」...
May 2010
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なぜ玄米でなければならぬか
二木謙三著『なぜ玄米でなければならぬか』大日本養生会叢書 第二輯 昭和9年初版 昭和18年21刷
……ああ、トンデモないものを見つけてしまった。 「なぜ玄米でなければならぬか。玄米は図表にもあきらかなる通り人体に必要なあらゆる成分、あらゆる養分を最も適当にして且つ充分なる量に含み消化 吸収は最も宜しく、又唯に養分の分量のみならず、其の性質は最上最優にして即ち完全の極致に達し、世界に於て常食として玄米より優良なるものは断じて之れ なく……」 最近玄米食はとみにブームだが、それを最初に提唱した人として有名なのがこの二木医学博士である。本書の構成も「1.米の精白度による各養分の損 失」「2.白米玄米の消化吸収率及消化吸収実量」「3.中等度の労働をなす場合の三養素及其の熱量」……と、そんなにおかしなことが書いてあるわ けではない……はずなのだが、なんだか様子がヘンなのだ。 ...
謎の決戦型ブラウス
「必勝防空寝巻き」(『婦人倶楽部』昭和20年2月号)
家族が着る服はお母さんが作る――今では信じられないかもしれないが、実は30年ほど前までは当たり前のことだった。とりわけ、既製品の洋服などが店頭 から姿を消した「決戦下」においてはなおさらで、足りない布地やほころびた服を、いかに一着に仕立て上げるか、その工夫ぶりを婦人雑誌は競い合った。 戦時下とはいえ、昭和18年にはまだ「おしゃれ」があった。下の図版は、「婦人倶楽部」昭和18年2月号掲載の「足りない布で作る接合せデザイン 婦人用少女用ツーピース」。なんとハイカラな! 割烹 着姿の大日本婦人会が二重橋前で万歳を絶叫していた同じ頃、まだこんな「デザイン」を楽しむ余裕が女性たちにはあったのである。
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ラヂオの時間ですよ
『写真週報』昭和17年12月7日号より
「大東亜戦争」勃発とともに、ラジオは一気に学校教育の現場で活用されるようになった。「学校放送」というジャンルで、教室での聴取に特化した放送が開 始されたのは、満州事変(1931年)をきっかけにした時局啓蒙番組から。以降、日中事変・大東亜戦争を経て敗戦まで、デムパに乗せて、全国のよい子たちに神の国のご託宣を届けた。 放送は香ばしい番組がテンコ盛りで、国民学校初等科向けでは「ヒノマルノハタ」「日本バンザイ」 「兵隊さんありがたう」「軍犬のてがら」「軍艦生活の一日」「靖国の英霊に捧ぐ」などが並ぶ。「新兵器の話」「機械化部隊」「満州便り」はちょっと年長のお友だち向け。「東亜共栄圏めぐり」なんて番組もあってグローバルな視野(笑)を持つ皇国民をさかんに育成しやがった模様だ。 ...
劇的Before&After
『主婦之友』昭和20年7月号(上) 8月号(下)
半年前までは豪華カラーで、美人が戦闘機のプロペラなんぞを作っていた表紙であったが、この号ではザラ紙にスミ1色のペン画、特集タイトルも記事紹介も表紙に刷り込まれていない、さびしいものになってしまった。編集部の虚脱感をわかりやすく表現している好例であろう。
昭和20年8月15日のその日まで、当時の婦人雑誌の中で最も積極的に戦争遂行を翼賛してきたのが『主婦之友』だ。敗戦時の大混乱にもかかわらず、キッチリ8月号を出している。同誌の発行日は8月1日となっているが、不思議なことに巻頭に終戦の詔書が掲載されている。さすが数十万部を誇る大メジャー誌であっただけあって、どうやらその段階で玉音放送の内容を察知していたらしい(……んなワケない)。 ...
皇紀2591年の夏休み
『高等小学夏期学習帖』(昭和7年 富田屋書店刊)より。モダンな表紙(タイトル文字がお洒落!)にもかかわらず、中身は お約束どおり楽しい皇国教育だ。それにしても、「子どもが書いた旧字体の漢字」を初めて見た。
戦前の高等小学校にも夏休みがあり、もちろん夏休みの宿題まであった――まあ、それは驚くことではないが、ではどんな宿題が出ていたのかについては、意外と知られていない。 昭和7年(1932年)の高等小学校(今の中学校にあたる)第二学年向けの「夏期学習帖」を入手した。 元の持ち主は南小川村(現長野県上水内郡小川村)在住の松本某君である。 松本君は文系志望であったようで(笑)、修身と国語・国史の問題は埋めているものの、理科・算術・地理はすべて無視、真っ白けである。さぞかし先生に怒られたことであろう。 ...
戦争と内職
『写真週報』昭和16年12月31日号
同誌昭和17年2月12日号。……「感謝貯蓄」がバクダンの形をしているところが、きわめて直截な表現で赤面する。オヤジ の生首も意味が良くわからないが、どちらも社会主義リアリズムを髣髴とさせる力強さである。
内職……といっても【授業・会議の席で隠れて行う他の作業】(大辞林)のコトではない。今や死語と化しつつあるが、【主婦などが家事のあいまにする賃仕事】(広辞苑)のコトである。戦時中は「貯蓄報国」のスローガンのもと熱烈に貯金が呼びかけられたが、乏しい現金収入ではいかんともしがたい。そこで当局肝いりで推進されたのが「長期戦に勝ち抜く内職・家庭内副業」なのである。当時の『主婦之友』には、「月給生活者の妻の内職増収の実験」と称して、さまざまな内職成功例が紹介されているので見てみよう。...
空爆下の出勤向上
『ダイヤモンド』昭和20年3月11日号 ダイヤモンド社。当時の経済誌はかなり入手困難で、『エコノミスト』などは図書館でしかお 目にかかっていない。ご提供していただける方募集中!
空襲が烈しくなるにつれて、そのたびに労働者が職場に出てこなくなる――よく考えればアタリマエの話だが、当時の経済界では由々しき一大問題であった……そんなことは歴史の教科書には載っていなかったぞ。 この「出勤率の低下」、その傾向と対策のために、経済雑誌「ダイヤモンド」昭和20年3月11号は「空爆下の出勤向上」という特集を組んでいる。もちろん、「特集」といっても当時の「ダイヤモンド」は、全16頁・B2判のザラ紙を四つ折りにしただけのチラシとも新聞ともつかぬシロモノ。活字だけの3本の短い記事だが、人びとの生活感覚の一旦が垣間見える。 ...
日の丸フェチ読本
『日の丸の国旗』亘理章三郎 昭和19年 実業之日本社。この本の他にも『日本魂の研究』『刀及剣道と日本魂』『大日本帝国国旗』な ど香ばしい著作多数。
この本を手に取った時から、何かイヤーな感じがしていた。ミもフタもない直截なタイトル、昭和19年発行というタイミング、そして狂信的国体原理主義者として知られる著者……案の定、読むとアタマがクラックしてくるドラッグ本だった。
「国号日本の中には、日の神の御国というふ意味も当然ふくまれる……肇国の皇祖神として、日の神の御光を永遠に仰ぎ奉るのが、われら日本の国民である」 「したがつて日本の標章である国旗日の丸の中にも、私共は常に必ず天照大御神の霊光を拝し奉るわけである」
――おいおい「したがって」でつなぐのかよ! ナント日の丸はアマテラスオオミカミの霊光の象徴なんだとサ。それはなぜか? 亘理は続いて以下のように「論証」している。
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テンチャウセツの季節
戦前の学校に「修身」という科目があった。今の「道徳」にあたるもので、国家への忠誠心と国民としての徳目を教えた。当時の国定修身教科書「ヨイコドモ」の教師用マニュアルを最近手に入れたので紹介しよう。(『国民科修身指導案』岩瀬六郎(奈良女子高等師範学校訓導)著 昭和16年 明治図書) 対象は国民学校初等科1年生(小学1年生にあたる)で、「一 ガクカウ(学校)」「二 センセイ(先生)」など、まずはハナタレたちを学校生活に慣れさせるところから授業は始まる。ようやく席について先生の話を聞くようになったら、次は「三 テンチヤウセツ(天長節)」だ。天長節とは天皇誕生日のこと。昭和天皇は4月29日だったので、新1年生に天皇崇拝を叩き込むにはかっこうの題材だった。 ...
March 2010
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悲しき「ニコニコ慰問帖」
▲『少女倶楽部』 昭和19年1月号 大日本雄弁会講談社。 右上が破りとられているが、そこには「米英撃滅」のスローガンが刷り込まれていた。
銃後の人びとが、前線の兵隊さんを激励するためにつくったのが「慰問袋」。物資のある頃にはお菓子や乾物・ふんどしなどの日用品などを入れた。デパートには缶詰やちり紙の類から、美人写真などまで「慰問用品」と銘打たれて商品化されていたと言うから驚きだ。 内地で物資が欠乏する頃には「慰問袋」に詰めるものもなく、手紙・作文・手製のお人形など、比較的費用のかからぬものが増えた。 これに何を入れるのか、銃後の女性は相当悩んだようで、婦人雑誌にはほぼ毎号「慰問袋」マニュアルが掲載されている。少女といえどもやはり銃後の重要な担い手であり、子どもたちの手芸や作文は軍当局からも強く奨励されていた。 ...
ナゾの「熱帯進出力」
▲『日本人の熱帯適応性』 中山英司著 太平洋協会編 六興商会出版部刊 昭和18年2月
「大東亜共栄圏」建設の大きな課題のひとつに、「日本人は熱帯でやっていけるのか?」という問題があったそうだ。 暑さに強い人もいればそうでない人もいるはずだが、まとめて「日本人」の生物学的環境適応能力の問題にしてしまうのだからスゴイ。 本書のキーワードは「熱帯進出力」という不思議なチカラで、冒頭から 「日本人は最早や熱帯での活躍なくして今後の国運の伸展は考えられない。日本人の熱帯進出力の有無は直接大東亜建設の成果に影響する。戦闘力に於て全世界に示した吾が民族の優秀性を熱帯進出力に於ても同様に発揮しなければならない」 と宣言されている。日本人なら「熱帯進出力をつけろ」と号令されているわけだから、これはエライことになったと思った暑がりの人も大勢いたに違いない。...
勝利の日まで大増税
▲『誰にもわかる国家総動員法早分り』 法政学会編 東宝堂書店刊 昭和13年4月
戦争には金がかかる。金がかかるから税金が上がる。 昭和13年に施行された「国家総動員法」は、日中戦争遂行のために日本中の労働力・物資からマスコミまでを総力戦体制に動員するための法律であったが、実は同時に「支那事変特別税法」という大増税も同時に施行されたことは日本史の教科書にはのっていなかった。 このパンフレットの第二部「事変特別税法早分り」には、 「今度の増税は広汎で、国民の経済生活に及ぼす影響は深刻です。けれども我々国民は、決して日本は戦争に敗けてはならないといふ事実を考えなければならないのです。……この根本的な自覚が、はっきりしたならば……文句なしで、その増税に耐えて行くのが戦時非常の我々銃後国民の心意気でなければならぬのです」...
決戦下の実戦英作文
『受験と学生』昭和17年2月号
戦争中、英語は「敵性言語」とされ、社会からすべて放逐された……というわけではなかった。 野球の「ストライク」を「イイ球!」に、タバコの「チェリー」を「桜」に言いかえたのは有名なエピソードだが、少なくとも高等学校以上の中・上級学校の受験科目には「英語」が入っていたし、昭和19年には中学生向け国定教科書「英語」が刊行されていた。 今も昔も多くの受験生諸君が「英語」に悩んだのにはかわりなく、当時の受験雑誌には受験用英語講座に相応のスペースが割かれている。ところがその受験英語の中身が、かなりのハイレベルかつトンデモ英語だったのだ。 例えば、(旧制)高等学校受験むけの『受験と学生』(昭和17年2月号 研究社刊)の「和文英訳最後の実力だめし」コーナーでは、こんな英作文の問題が掲載されている。 【基本問題】 ●山本提督は古来希なる海軍武人である...
皇国婦人の実用お作法
▲『婦人倶楽部』昭和14年新年号特別付録
今回取り上げる『新実用お作法』は、昭和14年正月の『婦人倶楽部』付録(大日本雄弁会講談社刊)。「贈答のお作法」「新年のお作法」など、古典的お作法 マニュアルが並ぶ中、巻頭に燦然と輝いているのが「出征、入営、戦勝、戦死に関するお作法」の章だ。
たとえば、〈出征兵士を見送る時のご挨拶〉は…… 「御名誉の御出征でおめでとうございます。お身体を大切にして、お国の為に十分な御奮闘をお願い申し上げます。お留守のことは及ばずながらお力になりたい と存じますから、どうぞ御安心くださいますやうに……」 よもや生きて帰ろうなどと考えさせたり、家庭のことに心を残すようなことを決して言ってはなりません――と解説にはある。近所のオバさんたちから口々にこ んなことを言 われたら、私だったら逆上して、刺身包丁で斬りかかるかもしれない。
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