May 2010
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なぜ玄米でなければならぬか
二木謙三著『なぜ玄米でなければならぬか』大日本養生会叢書 第二輯 昭和9年初版 昭和18年21刷
……ああ、トンデモないものを見つけてしまった。 「なぜ玄米でなければならぬか。玄米は図表にもあきらかなる通り人体に必要なあらゆる成分、あらゆる養分を最も適当にして且つ充分なる量に含み消化 吸収は最も宜しく、又唯に養分の分量のみならず、其の性質は最上最優にして即ち完全の極致に達し、世界に於て常食として玄米より優良なるものは断じて之れ なく……」 最近玄米食はとみにブームだが、それを最初に提唱した人として有名なのがこの二木医学博士である。本書の構成も「1.米の精白度による各養分の損 失」「2.白米玄米の消化吸収率及消化吸収実量」「3.中等度の労働をなす場合の三養素及其の熱量」……と、そんなにおかしなことが書いてあるわ けではない……はずなのだが、なんだか様子がヘンなのだ。 ...
謎の決戦型ブラウス
「必勝防空寝巻き」(『婦人倶楽部』昭和20年2月号)
家族が着る服はお母さんが作る――今では信じられないかもしれないが、実は30年ほど前までは当たり前のことだった。とりわけ、既製品の洋服などが店頭 から姿を消した「決戦下」においてはなおさらで、足りない布地やほころびた服を、いかに一着に仕立て上げるか、その工夫ぶりを婦人雑誌は競い合った。 戦時下とはいえ、昭和18年にはまだ「おしゃれ」があった。下の図版は、「婦人倶楽部」昭和18年2月号掲載の「足りない布で作る接合せデザイン 婦人用少女用ツーピース」。なんとハイカラな! 割烹 着姿の大日本婦人会が二重橋前で万歳を絶叫していた同じ頃、まだこんな「デザイン」を楽しむ余裕が女性たちにはあったのである。
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ラヂオの時間ですよ
『写真週報』昭和17年12月7日号より
「大東亜戦争」勃発とともに、ラジオは一気に学校教育の現場で活用されるようになった。「学校放送」というジャンルで、教室での聴取に特化した放送が開 始されたのは、満州事変(1931年)をきっかけにした時局啓蒙番組から。以降、日中事変・大東亜戦争を経て敗戦まで、デムパに乗せて、全国のよい子たちに神の国のご託宣を届けた。 放送は香ばしい番組がテンコ盛りで、国民学校初等科向けでは「ヒノマルノハタ」「日本バンザイ」 「兵隊さんありがたう」「軍犬のてがら」「軍艦生活の一日」「靖国の英霊に捧ぐ」などが並ぶ。「新兵器の話」「機械化部隊」「満州便り」はちょっと年長のお友だち向け。「東亜共栄圏めぐり」なんて番組もあってグローバルな視野(笑)を持つ皇国民をさかんに育成しやがった模様だ。 ...
劇的Before&After
『主婦之友』昭和20年7月号(上) 8月号(下)
半年前までは豪華カラーで、美人が戦闘機のプロペラなんぞを作っていた表紙であったが、この号ではザラ紙にスミ1色のペン画、特集タイトルも記事紹介も表紙に刷り込まれていない、さびしいものになってしまった。編集部の虚脱感をわかりやすく表現している好例であろう。
昭和20年8月15日のその日まで、当時の婦人雑誌の中で最も積極的に戦争遂行を翼賛してきたのが『主婦之友』だ。敗戦時の大混乱にもかかわらず、キッチリ8月号を出している。同誌の発行日は8月1日となっているが、不思議なことに巻頭に終戦の詔書が掲載されている。さすが数十万部を誇る大メジャー誌であっただけあって、どうやらその段階で玉音放送の内容を察知していたらしい(……んなワケない)。 ...
皇紀2591年の夏休み
『高等小学夏期学習帖』(昭和7年 富田屋書店刊)より。モダンな表紙(タイトル文字がお洒落!)にもかかわらず、中身は お約束どおり楽しい皇国教育だ。それにしても、「子どもが書いた旧字体の漢字」を初めて見た。
戦前の高等小学校にも夏休みがあり、もちろん夏休みの宿題まであった――まあ、それは驚くことではないが、ではどんな宿題が出ていたのかについては、意外と知られていない。 昭和7年(1932年)の高等小学校(今の中学校にあたる)第二学年向けの「夏期学習帖」を入手した。 元の持ち主は南小川村(現長野県上水内郡小川村)在住の松本某君である。 松本君は文系志望であったようで(笑)、修身と国語・国史の問題は埋めているものの、理科・算術・地理はすべて無視、真っ白けである。さぞかし先生に怒られたことであろう。 ...
戦争と内職
『写真週報』昭和16年12月31日号
同誌昭和17年2月12日号。……「感謝貯蓄」がバクダンの形をしているところが、きわめて直截な表現で赤面する。オヤジ の生首も意味が良くわからないが、どちらも社会主義リアリズムを髣髴とさせる力強さである。
内職……といっても【授業・会議の席で隠れて行う他の作業】(大辞林)のコトではない。今や死語と化しつつあるが、【主婦などが家事のあいまにする賃仕事】(広辞苑)のコトである。戦時中は「貯蓄報国」のスローガンのもと熱烈に貯金が呼びかけられたが、乏しい現金収入ではいかんともしがたい。そこで当局肝いりで推進されたのが「長期戦に勝ち抜く内職・家庭内副業」なのである。当時の『主婦之友』には、「月給生活者の妻の内職増収の実験」と称して、さまざまな内職成功例が紹介されているので見てみよう。...
空爆下の出勤向上
『ダイヤモンド』昭和20年3月11日号 ダイヤモンド社。当時の経済誌はかなり入手困難で、『エコノミスト』などは図書館でしかお 目にかかっていない。ご提供していただける方募集中!
空襲が烈しくなるにつれて、そのたびに労働者が職場に出てこなくなる――よく考えればアタリマエの話だが、当時の経済界では由々しき一大問題であった……そんなことは歴史の教科書には載っていなかったぞ。 この「出勤率の低下」、その傾向と対策のために、経済雑誌「ダイヤモンド」昭和20年3月11号は「空爆下の出勤向上」という特集を組んでいる。もちろん、「特集」といっても当時の「ダイヤモンド」は、全16頁・B2判のザラ紙を四つ折りにしただけのチラシとも新聞ともつかぬシロモノ。活字だけの3本の短い記事だが、人びとの生活感覚の一旦が垣間見える。 ...
日の丸フェチ読本
『日の丸の国旗』亘理章三郎 昭和19年 実業之日本社。この本の他にも『日本魂の研究』『刀及剣道と日本魂』『大日本帝国国旗』な ど香ばしい著作多数。
この本を手に取った時から、何かイヤーな感じがしていた。ミもフタもない直截なタイトル、昭和19年発行というタイミング、そして狂信的国体原理主義者として知られる著者……案の定、読むとアタマがクラックしてくるドラッグ本だった。
「国号日本の中には、日の神の御国というふ意味も当然ふくまれる……肇国の皇祖神として、日の神の御光を永遠に仰ぎ奉るのが、われら日本の国民である」 「したがつて日本の標章である国旗日の丸の中にも、私共は常に必ず天照大御神の霊光を拝し奉るわけである」
――おいおい「したがって」でつなぐのかよ! ナント日の丸はアマテラスオオミカミの霊光の象徴なんだとサ。それはなぜか? 亘理は続いて以下のように「論証」している。
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テンチャウセツの季節
戦前の学校に「修身」という科目があった。今の「道徳」にあたるもので、国家への忠誠心と国民としての徳目を教えた。当時の国定修身教科書「ヨイコドモ」の教師用マニュアルを最近手に入れたので紹介しよう。(『国民科修身指導案』岩瀬六郎(奈良女子高等師範学校訓導)著 昭和16年 明治図書) 対象は国民学校初等科1年生(小学1年生にあたる)で、「一 ガクカウ(学校)」「二 センセイ(先生)」など、まずはハナタレたちを学校生活に慣れさせるところから授業は始まる。ようやく席について先生の話を聞くようになったら、次は「三 テンチヤウセツ(天長節)」だ。天長節とは天皇誕生日のこと。昭和天皇は4月29日だったので、新1年生に天皇崇拝を叩き込むにはかっこうの題材だった。 ...