戦争と内職

『写真週報』昭和16年12月31日号

同誌昭和17年2月12日号。……「感謝貯蓄」がバクダンの形をしているところが、きわめて直截な表現で赤面する。オヤジ の生首も意味が良くわからないが、どちらも社会主義リアリズムを髣髴とさせる力強さである。

内職……といっても【授業・会議の席で隠れて行う他の作業】(大辞林)のコトではない。今や死語と化しつつあるが、【主婦などが家事のあいまにする賃仕事】(広辞苑)のコトである。戦時中は「貯蓄報国」のスローガンのもと熱烈に貯金が呼びかけられたが、乏しい現金収入ではいかんともしがたい。そこで当局肝いりで推進されたのが「長期戦に勝ち抜く内職・家庭内副業」なのである。当時の『主婦之友』には、「月給生活者の妻の内職増収の実験」と称して、さまざまな内職成功例が紹介されているので見てみよう。
《鉄兜用帽子の紐附》――「仏印方面では、兵隊さんの鉄兜が、太陽の直射で非常に熱く灼けるため、上にもう一つこの笠のような帽子を被るのださうです。私のお仕事は、その帽子にレザーの紐と、氏名を書く白布とをつけるのです」(昭和17年1月号)。仏印進駐以後、南方用軍需品は大急ぎで求められたのだろう。帽子1個仕上げるのに約30分、工賃は4銭で月収20円(現在の3万2000円相当)。ううむ。
《海軍の衣類修繕》――「水兵さんの作業服やズボン、帽子などの破れや損みをミシンで修繕する、ごく簡単な仕事です」(昭和17年3月号)。この人は月収30円以上を達成。しかし、まだまだ上がいた!
《軍用扇子の中差し》――「張り合わせた扇子紙の間へ骨を入れる孔をへらであける仕事で、三日も習へば一通りできます」(同前)。彼女はナント月収40円を達成、戦時下内職界の「勝ち組」に躍り出た。ところでこの「軍用扇子」なるものが面妖な代物で、「南方戦線の兵隊さんへ送られる、東條首相の書の入った日の丸扇子が沢山出て、とても忙しく働かせて頂いてをります」というからトホホである。日本軍部はこんなものにもカネと資源を使っていたのか……。
《興亜バッグ編み》――「セロファンの紐を七宝つなぎに編んだ、丈夫で美しい買物袋で、最近は南方各地にまで進出するようになりました」(昭和18年2月号)。これはワリに合わない仕事で、一日にやっと二袋、工賃は一袋50銭なので毎日やっても軍用扇子には負ける。大東亜共栄圏形成とともに、日本のこまごまとした製品も活発に輸出されていたことが伺えるエピソードだが、たかが買物袋にしてはなんと大仰なネーミングであることよ。
その他《軍用行李のズック当てで日収二円五十銭》《飛行機の部分品仕上げで日給六十銭》《軍用水筒紐縫いで月収十二、三円》などがならぶが、中には《日本刀(軍刀)の柄巻きで月収三十円》というものもあり、こんなものまで内職だったのかと驚いた。いったい発注者は誰だったのか非常に気になる。ともあれ軍用品はかなりオイシイ内職であったらしく、多くの婦人たちがとびついたようだ。かくして「戦争」は家庭の隅々にまで入り込み、「銃後」の主婦たちもまた家計と戦争両方を支えたのだ。嗚呼、合掌。

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