劇的Before&After

『主婦之友』昭和20年7月号(上) 8月号(下)

半年前までは豪華カラーで、美人が戦闘機のプロペラなんぞを作っていた表紙であったが、この号ではザラ紙にスミ1色のペン画、特集タイトルも記事紹介も表紙に刷り込まれていない、さびしいものになってしまった。編集部の虚脱感をわかりやすく表現している好例であろう。

昭和20年8月15日のその日まで、当時の婦人雑誌の中で最も積極的に戦争遂行を翼賛してきたのが『主婦之友』だ。敗戦時の大混乱にもかかわらず、キッチリ8月号を出している。同誌の発行日は8月1日となっているが、不思議なことに巻頭に終戦の詔書が掲載されている。さすが数十万部を誇る大メジャー誌であっただけあって、どうやらその段階で玉音放送の内容を察知していたらしい(……んなワケない)。
7月号で「われわれは勝つことのほかは何も考へてゐません。ほかのことを考えている余裕はありません――特攻隊勇士の言葉である。皇国の必勝を信じて、ただ、まつしぐらに働き、まつしぐらに戦ふ。これが「勝利の特攻生活」である」(7月号編集後記)と高らかに歌い上げた『主婦之友』。半年前には「アメリカ人をぶち殺せ」と前代未聞のスローガンを掲げたこの婦人誌は、敗戦と同時に目も当てられないほどの大落胆を紙面全体に漂わせている……と思いきや、悔しがっているのは主婦之友社社長の石川武美が寄せた「若き日本の新しき道 戦争終了の大詔を拝し奉りて」の2ページのみ。後はかつての戦意高揚ぶりなどどこ吹く風、「野菜の手入れ秘訣」「胃腸病のお灸療法」などなど「生活」記事で雑誌を埋めまくった。メディアの戦争責任を不問に付す出発点をライブで目撃しているかのようである。
ところで、この石川武美なる人物、一代で巨大出版社をたちあげた立志伝中の人物であるが、戦時中のあまりに露骨な軍部迎合と出版界支配が災いして、戦後はGHQによる公職追放を受ける。この人物が玉音放送を聞いて何を考えたのか? 「われら国民は、ラヂオの前にひれ伏して慟哭した。戦争に負けた悲しみはもちろんだが、民草のうへを思召し給ふ天皇陛下の、ありがたさ、もつたいなさに、感泣した」のだそうだ。民草てえのはバカがつくお人よしということになる。
「戦争に負けても、天皇陛下はちつとも、それをおとがめはなさらない。そればかりではない、行軍兵士の奮戦をよみし給ひ、銃後国民の奮闘をおほめくださってゐたまふ」とまで書いているのだから、彼の天皇へのすさまじい片思いにはあきれかえる(相思相愛だったらもっとイヤだが)。
彼が、戦争に負けたとたんに、「日本は若い、若いからこそ失敗もしたのだ。この大きい敗北も、わが日本の『若気の至り』としてあきらむべきだ」といい始めるのも面白い現象で、つい5年前には「皇紀2600年」で大騒ぎしていたことも敗戦ショックで忘れてしまったようだ。アジアだけで2000万人が殺されているのだから、「若気の至り」で殺られた方はたまったものではないだろう。この男は戦時中ホントに「われわれは勝つことのほかは何も考へて」おらず、脳ミソのそのほかの部分はカラになっていたのかもしれない。嗚呼、合掌。

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